【国会レポート】TPPと日本人のあり方 特異な人間を許容できるか【2011年9号】

今大手書店に行くと『スティーブ・ジョブズ』という本が平積みされていますが、これはパソコンのMac(Macintosh)や携帯電話のiPhoneなどを世に送り出したスティーブ・ジョブズの評伝です。周知のようにジョブズは今年10月5日に亡くなりました。

私がMacと最初に出会ったのは鉄鋼会社に勤務していた1987年です。人事異動で配属された部局で部員1人に1台のMacが与えられ、このMac同士がアップルトーク(現在のLAN回線)で結ばれていました。当時、Macは1台100万円もする高価格。それを部員1人ずつに配るというのは相当な設備投資で、当時、私は時代の最先端の恵まれた環境にいたのでした。

パソコンは大型コンピューターと異なり、個人の「思考のための道具」として登場したのですが、最初にパソコンを一般の大衆が使える商品にした人物がジョブズにほかなりません。Macについては、ジョブズが複写機メーカーのゼロックス傘下の研究所で見たAltoというパソコン試作機に触発されて作ったものです。つまり、AltoではGUI(アイコンとマウスを用いる直感的な操作法)が導入されており、MacはGUIを最初に商品化したパソコンでした。その後、ウインドウズ機にパソコンの主役を奪われましたが、「思考のための道具」としてのパソコンの普及にとってジョブズの功績は大きいと言えます。

映画「ソーシャル・ネットワーク」の人物像

パソコンのほかにも、ジョブズはインターネットから楽曲をダウンロードして楽しめるiPod、iPhone、さらに携帯情報端末のiPadなどを商品化し、世界中の人々に大きな影響と喜びを与えてきました。

けれども、天才は往々にして特異な人間であり、周囲ともさまざまな軋轢を起こすものです。ジョブズもそうで、自分が創立した会社アップルを追い出されたこともありました。しかし、そのような特異な人間を許容する社会であればこそ、技術の進歩やイノベーション(経営革新)が促進されるという面は否定できません。

この状況をうまく描いているのが「ソーシャル・ネットワーク」という映画です。主人公はFacebookの創始者のマーク・ザッカーバーグという実在の人物。映画では傲慢で自己中心的な人間として描かれていて、別の表現をすれば、やはり特異な人間です。彼以外にもいかがわしい人物が数多く登場し、米国の資本主義の下では起業にはお金、リスク、裏切り、揉め事などが付きものということがよくわかります。

ハーバード大学の学長ラリー・サマーズ(クリントン政権時の財務長官)も出てきますが、彼は「ハーバードの学生なら他人に雇ってもらうのではなくて仕事を創造すべきである」と言います。企業に勤めるよりも自分で事業を起こせというのです。つまり、米国の資本主義では特異な人物が数多く出現し、その中から社会を変革するような天才もときどき現れるということです。

私がサラリーマンだったとき、会社から米国に派遣されて年間売上高2,000億円を超えるIT企業の株主総会に出席したことがありました。そこでネクタイをした小学生が製品の販売戦略について社長に質問し、社長も株主であるその小学生に丁寧に説明する光景を目にした際に、米国では子供時代から資本主義の何たるかを学んでいるのだなと深く考えさせられました。

バブル後の辛い体験で受け身になった経営陣

今、日本経団連に加盟している一部上場企業の経営陣(会長、社長、副社長、専務、常務)は、20年前に私が会社で係長をしていたときの課長や部長の世代です。この世代は1990年代初頭にバブルが弾けたときに大変辛い思いをしました。朝から晩まで大手銀行から「金を返せ」と貸し剥がしにあい、かつ自分の先輩や同僚をリストラせざるを得ませんでした。安定した職場を奪うことがどれだけ人の恨みを買うかを経験してきたのです。その経験から、もう二度と銀行からは金は借りないし、二度と余剰人員は雇わないと決心したのでした。

また、バブル時には、大手不動産会社の米国ロックフェラーセンター買収に象徴されるように日本の大手企業は米国の不動産や企業をどんどん買収しました。しかし、結局、こうした買収はうまく行かず、大きな損失を計上せざるを得ませんでした。その後、経営陣は二度と身の程を超えた事業は行わないとも決心したのでした。

今、大手企業には、以上のような心情を持った経営陣が多いのです。ですから、日本企業はキャッシュも含めて二百数十兆円もの巨額の資金を持っているのですが、それを活用して新しいビジネスに再投資をしようとはしません。これまで日本政府は成長戦略を打ち出してきました。残念ながらそれがうまくいってないのは、事業活動の面で個々に活動するプレーヤーが少ないからです。私は成長戦略を成功させるためには、自分で起業する人間をどれだけ多く生み出すかがキーポイントになると思っています。

特異な人物を許容できる社会と TPP との関係

今、時々新聞やテレビの記者たちと懇談することがあるのですが、彼らに「TPP参加についてどう考えていますか」と訊かれると、次のように答えています。「TPPへの参加とは、日本の記者にとって、記者クラブ制度を廃止することと同じことではないか」と。廃止されると記者会見にあらゆるメディアの記者が参加する事になるので、大手新聞社や大手テレビ局の名刺ではなく、個々の記者のペン(取材)の実力で勝負しなければならなくなります。

自立した人間が多く起業するという点に米国の資本主義の強みがあるとも言えるでしょう。TPPは米国流の資本主義の環境に近づくものです。日本がTPPに参加して発展しようとすれば、特異な人物を許容する社会にならないといけないでしょう。米国では、そうした人たちの中からジョブズのような天才が生まれてくるのです。物を丁寧に作り込むなど私たちの社会の持っている強みを維持しながら、イノベーション(革新)を起こす特異な人物を許容できる社会にすることが急務です。

今回TPPの議論を党内で行ったときに、ローソン社長の新浪剛史氏のお話を伺う機会がありました。大学卒業後に三菱商事に入社した新浪氏は、低迷していたローソンの筆頭株主に三菱商事がなったとき、組織風土改革のためにローソンに送り込まれたのでした。その後、社長に就任して見事にローソンを再生、発展させた人物なのです。こうした経営者が当たり前のように日本国内に多くいらっしゃればもっと安心してTPPを議論できるとも思ったのでした。