【国会レポート】義務教育で必要とされるのは論理的思考を養う授業【2016年7号】

海外旅行で現地の言語ができれば楽しさも倍増します。その点、現地の言語を話せなくても今では翻訳・通訳ソフトが活用できるようになりました。なかでも「VoiceTra」(ボイストラ)という翻訳ソフトは完成度が高く、31言語に対応しており、そのうち20言語では音声入力ができて、さらに16言語では音声出力もできます。たとえば、VoiceTraが入ったスマホに「駅へ行く道を教えてください」と日本語で話しかけると、それが翻訳されて、“Please tell me the way to the station”という英語の音声が出てくるのです。旅行での会話であれば問題なく通訳してくれるでしょう。

VoiceTraは、我が国唯一の情報通信分野を専門とする公的研究機関であるNICT(国立研究開発法人情報通信研究機構)が、1980年代から開発しているソフトです。NICTのサイトから誰でも自分のスマホに無料でダウンロードできます。私も実際に使ってみて、ここまで翻訳・通訳の精度が上がっているのかと驚きました。特に英語、中国語、韓国語では、旅行会話であればTOEIC換算で600点を超えるレベルに達しています。VoiceTraがあれば海外旅行ができるのはもちろんのこと、医学用語もきちんと翻訳してくれますから海外で病気になって医者にかかる際にも助けになるはずです。今後、精度がさらに上がっていけば、2020年代には、契約の場面など相当高いレベルでの翻訳・通訳も可能になるのではないでしょうか。

言語を習得するには2200時間かかる

一方、人間が今のVoiceTraのレベルに達するまでには、話す能力や聞く能力の点でかなりの勉強が必要だとも思いました。では、日本の公的教育における語学教育はどうあるべきでしょうか。現在、小学校では5年生と6年生に英語に親しむためとして45分の授業が週1回行われています。そこで文部科学省は今、45分の英語の授業を3年生と4年生は週1回、5年生と6年生は週2回行おうと検討しています。

米国の国務省(日本でいう外務省)では、職員に他国の言語を習得させる場合、仕事で最低限使えるレベルにまで上達させるために2200時間かけています。つまり、1つの言語について2年ほどで外交官としての語学力が身に付くということです。これに対して、日本の中学と高校の英語の授業は合計しても1500時間しかなく、しかも授業は細切れになっています。

とすると中学と高校での英語の授業を合計2200時間になるように増やせばいいのでしょうか。しかし私は、外国の人たちとコミュニケーションをとるにはそれよりももっと大事なことがあると考えています。すなわち、論理的な思考ができるようになることです。海外旅行をしたり海外で医者にかかったりするだけであればVoiceTraのような翻訳ソフトで十分対応できるでしょう。

一方、外国の人たちと込み入った話をするには、今のところやはり通訳に頼るしかありません。私も外国の政治家と話すときには通訳を介しています。当然、日本語を用いるわけですが、そのときに最も心がけているのは論理的に話すことです。もし話が論理的でないなら、通訳も理解しにくいですし、となると結局、外国の政治家にも私の話がしっかりとは伝わりません。言い換えれば、日本語であっても日本人にさえわかりにくいような情緒的な話だと、いくら通訳を介しても外国人にわかるはずがないのです。

読解力ではAIより中高生のほうが低い?

したがって私は、小学生や中学生も英語を習う前にまず日本語で論理的な思考ができるようになるべきだと思います。そのために欠かせないのが、何よりも日本語の文章の読解力ではないでしょうか。この点で興味深いのが、国立情報学研究所の新井紀子教授が中心となって行っている「東ロボくん」というAI(人工知能)の開発です。私は新井教授から東ロボくんの話を直接聞いたのですが、東ロボくんは、AIの能力を東京大学入試に合格するレベルまで引き上げるということで付けられた名前です。この開発の一環として昨年、中高生を対象に読解力の調査が実施されました。その結果、主語を読み違えたり文章でどういうことが書かれているかがわからなかったりする中高生が多く、読解はAIより人間のほうが得意だとされているのに、実際の中高生の読解力は驚くほど低いことが明らかになったのです。読解力が低いと論理的な思考もうまくできるはずがありません。

読解力の低い理由には、読書量の少なさだけでなく、長い文章を書けなくなっていることも挙げられるでしょう。文章を書く機会そのものは、スマホでのライン、ツィッター、フェイスブックなどのために増えてはいますが、いずれも文章としては短いものばかりです。しかも短いだけでなく、中身も断片的な感情のやり取りが中心なので、論理的な思考はほとんど必要ありません。

その点、長い文章を書こうとすれば、どうしても論理的な思考が求められます。私が書いている本レポートも「図や写真がなくて文字が多い」といわれるのですが、月1回、このような長い文章を書くことで、私も論理的な思考が促され、頭の中が整理されるため、新しい認識を得ることもできるのです。

話を学校教育に戻すと、英語の授業よりも、読解力を付けて論理的な思考を養う授業を増やすことが先決ではないでしょうか。小学校での英語教育よりも論理的思考の国語教育が優先されると考えます。皆さまにも様々なご意見があるかと思います。下記のメールアドレスにご意見をお寄せ下されば幸いです。

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